2013年12月3日火曜日

マンネンヒツズキー

突然だが、万年筆が好きである。


きっかけはほんのささいな事で、通っていた小学校の近くに万年筆店があり、大人になってから行った際の事がそれだ。


万年筆店・・・それは不思議な空間だった。

約5坪ほどの空間に、2畳ほどの作業スペースが出来ており、そこに座っている店主に話しかけ、オススメ万年筆を聞いたのだ。


オススメされたのは、ペリカン・ウォーターマン・パーカーだった。


その中で、オススメされたペリカンの万年筆は感動の筆記感で、まるで作家になったかのようなつかの間の夢体験だった。


しかし、ペリカンは予算的にオーバーしており、諦めた。


私の筆記の癖を見た店主は、ウォーターマンを勧めてきた。


しかし、ウォーターマンの筆記感はそれはそれはヒドイもので、顔をしかめ、それを見た店主は、他の万年筆も見るように告げた。しかし、最終的にオススメに従って、ウォーターマンを購入した。


購入すると、すぐに、店主はペン先をインクに付け、住所と名前を書くように、との事だった。



やはり、筆記感はいわゆる「ヌラヌラ」に程遠かった。が、それを見ていた店主は、舶来物の万年筆は本来日本語に向いていないこと、私の筆記癖は横から書くように手が動いていること、それに合わせて「調整」する事を私に告げた。







そこからは魔法の体験だった。






メガネのように、何度もフィッティングして調整していくのかと思いきや、気合い一発グラインダーのような何種類も砥石が回っている機械に電源を入れると、次々と砥石・・・というかベルトを代えながら、3分後位に私の前にそれが到着した。







書いてみろ、といわれて、とりあえず、住所と名前を再度書いてみた。









感動の一瞬だった。







自分の為のペンだった。思わず、声が出た。こんな変わるのか、と。












その後、その世界に一つしかないウォーターマンで文字を書いてきたが、もう少し太字が欲しくなり、そこで、あるイベントが開かれることを知って会社を早引けしてそこに向かった。



イベントはセーラーペンクリニック、というイベントで、セーラーの職人さんがわざわざ調整してくれるって言うので、行ってきた。



行くと、やはりそこも万年筆店で、いろいろ見て回ったが、いろいろ試筆をしているうちに、セーラーのプロフィット万年筆のズームというペン先に惚れた。



そして、買ったばかりの万年筆を調整してくれるというので、このままでも充分良かったが、自分のもう一本の万年筆と、その買ったばかりの万年筆を調整してもらった。



やはり、あの時と同じく、砥石の回る機械の前に座らせられ、

「どのように?」


と聞かれたので、ズームのペン先の特徴である、角度を替えると文字幅が変わるという特徴を生かしつつ、太字で、


という、何とも生意気な返事をした。




目の前に座るお爺さん職人はほほ笑むと、うん。といい、ペン先を削る。



しばらくして、ハイ。と渡された万年筆は、ペリカン以来の衝撃に唸ってしまった。

もう一つの万年筆はセーラーのイベントにも関わらず、パイロットだった。これは祖父の遺品からくすね、子どもの頃の私が無知にも大変な筆圧で破壊した物だった。



その万年筆を見ると、お爺さん職人はほほ笑み、「ずいぶん昔の万年筆じゃ、貰い物か?」と尋ねてきた。私の容姿から見える年齢と万年筆の年齢が合わなかった事に気付いたのだろう。私は祖父の遺品であると伝えた気がする。

お爺さん職人は「うん。良い万年筆じゃ。堅実なペンじゃ。わしももっとる」と、良いながらまずは幼き日の私が曲げたペン先を修正すると、すこし研いでは眺め、すこし研いでは眺めを繰り返し、「君にも使えるはずじゃ。大切にせんとな」と渡してきた。


おそらく、20年ぶりに書いたペンは嬉しそうに紙面を飛び回った。





そのお爺さん職人は、その後、長原宜義先生という、大変な有名人である事を知った。

しかも、その後すぐに、ご退官され、最近はイベントにはおいでにならないようである。








その2本のペンは大切にしようと思うのである。












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